平成15年3月に撤去され、今はクレーンを見ることが出来ません。
100年以上の歴史がある浦賀ドック。明治初期から日本の近代化を支えてきた。
明治初期にドイツ人技師により造られた浦賀ドック。
左側に見える小さいクレーンは、昭和20年6月製です。
浦賀の渡し舟です。
ペリーが来航した時には、すでに活躍していた。海を走っているが、市道になっています。
終戦にともない、南方から10万人が浦賀に引き上げ船で復員しました。
浦賀ドックの塀
関東大震災にも耐えたレンガの塀、明治を今に伝えている。
江戸時代から日本の防衛のために砲台が造られた。砲台の近くにある弾薬庫の入り口です。入り口は、すべて閉鎖してあります。
浦賀ドックの近くにある叶神社の狛犬です。
子の狛犬が乳を飲んでいる珍しいものです。
勝海舟が咸臨丸でアメリカに行く前に、断食をしたところです。
勝海舟が船上で船酔いに悩まされ何も出来なかったのは、この断食に原因があったのではないか・・・。
ペリー公園にあるペリー上陸記念碑
ペリー来航は、1853年6月のことです。目的は、中国への中継地にする事であった。
浦賀ドックのクレーンです。平成15年3月撤去されて今見えているクレーンは、全てなくなりました。
クレーンのある風景はもう見ることができません。